寿司業界と映画業界で考える下積みは長い方が本当にいい?!

半年くらい前に、ホリエモンさんにより
寿司職人は長い下積みが必要か? という議論がネットで話題になりました。



ホリエモンさん曰く、長い下積みは不要とのこと。
時代の流れで、昔のような職人としての下積みのあり方が変わってきたのでしょうね。

確かに長い時間下積みをすることは、
一つ一つを丁寧に覚えて、師弟関係を構築していくという
伝統文化継承の一つのあり方なのでしょう。

精神の鍛錬も磨かれ、その職を天職として
生涯全うするという意味合いもあるのだと思います。
逆に向いてない人間は、その下積みの間に淘汰されてしまうのでしょう。

もう一つ考えられるのは、専売特許の考え方です。
花形の職に技術ある若者が溢れかえってしまっては、
その価値が下がってしまうという発想。
お客を取られ、単価も下がってしまうという考え方です。

もしかすると、下積みを重視する意味は後者が強いのかもしれません。

映画の世界でも高価なフィルムを使って、
巨額の資金を投入するわけですから、
下積みが大切という発想は日本に昔から根付いております。
昔は40代で監督が若手と言われていた時代もあるくらいですから。

それだけ高価なものを扱うには、しっかりとした技術と人間性・精神性を備えよ、
という意味なのでしょう。

ですが、実は映画の世界にも、
日本では、代表作「人情紙風船」で知られる28歳で亡くなった山中貞雄監督

海外だと、「市民ケーン」のオーソン・ウェルズ監督は26歳。


実は、古い時代でも若い時に名作を作った監督は少なくありません。

今では、デジタルが普及し若手でも簡易的に撮影ができるようになった時代、
下積みを経験せずに、作品を撮る方は普通になってきました。

小生の場合は、映画監督に最初からなろうなんて全く思ってもいなかったので、
制作部・助監督・監督補など、現場の下積みをいくつも体験できたことは、
自分にとっては良かったと思っております。

同時期に学校にも通っておりましたが、
現場で学んだことの方が断然鮮明に覚えておりますし、
何より実践で生かせるものが多かったと思います。

下積み時代で最も価値を置いているものは、精神的な鍛錬に思えます。

では、長い下積みと短期間で実践に出るのは、
果たしてどちらがいいのでしょうか。

情報が活発に共有され、専門職の学校も開かれた形になり、
先の寿司でいうなら三ヶ月でプロになれる時代だそうです。

小生は、短期間で凝縮して学んで
実践で生きた学びを習得するという考え方に、大賛成です。
もちろん、長く修業してプロになるという発想も間違ってはいないと思います。

先日も述べましたが、20世紀の一つの正解をみんなで一斉に求める形から、
21世紀は個々が納得解、それぞれが納得のいく正解を一つにこだわらず
見つけていく時代になったのです。

過去を懐かしんでも戻ることは決してできません。

現代に大切なことは、実践の中でひたすら修業をして、トライ&エラーを行いながらも、
古くから続く匠の伝統がいかに深く、洗練されているものであるかを
学ぼうとする気持ちを忘れずにいることだと感じております。

実践で学ぶということは、もしかしたら下積みで長く学ぶことと
同等に大変かもしれません。
自分のお師匠さんが側にいない中で、なんとか工夫をして作業をこなすわけですから。

ということは、とどのつまり、
長い下積みも、短期間で実践に出るのも
どちらも悪くはないということで、時代の変化で、選択肢が増えただけのこと。

どちらを選択するかは、それぞれの趣向だと思いますが、
どちらもプロの道に入るということは、とても厳しいわけです。

小生の場合は、下積みは6年でしたが、その間に作品を生み出しては、
いろんな映画祭で賞を頂き、ハイブリッドなことをやっていました。
自分にとっては、性格的に、違う二つのものを同時に行うというのが
性格でもあり、性に合っているのでしょう。



学校でいろいろな知識を学んでも、そこで決して満足するのではなく、
その知識が生きていくためには、
生身の人とたくさん会い、いろいろな価値観の違いとぶつかり合いながらも、
すぐに逃げずに、辛抱強く耐え、
そこから自分の哲学や教科書を築いていくしかないのだと思っております。


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