欠陥品な自分
皆さん、こんばんは。 お元気ですか? おいらは、今日も魅力的な方々との面白い企画の打ち合わせが続きました。 いつもノー・ヴォイスのご報告ばかりなので、 ちょっと違った内容をお話ししますね。 映画の業界に入って(巻き込まれて?笑)ちょうど10年が経ちます。 右も左も分からぬまま、文章が書きたくて あれよあれよと映画の現場に参加することになりました。 あの当時は、無知の極みで、現場では何も分からず、 ただひたすら走ったり、言われるがまま動いたりしておりました。 10年経ち、今まで抑えてきたものを、そろろそ解放してもいいのかな、 そんな年に2014年はなると思っております。 おいらが物作りを始めたのは2004年の7月。 「星のリズム」という詩の絵本と 「 360°の冒険 」という映像制作の実習課題を作ってから。 10ページの絵本の最初のページです どちらも自分にとって、物作りの楽しさを23歳で初めて体験し、 今まで押し殺してきた創作への踏み出す勇気のきっかけを作ってくれたものでした。 押し殺してきた自分。 それがどこによるものかを、今考える機会を友人から頂いております。 それは、やはり自分に身近な家族なんだと思いました。 家族は私にとって、恐怖でしかなく、 自分を認めてくれない、怖い、よそよそしい、 何かを言えば、従え、 良い子でいなければいけない、有名大学に入るべきだ。 そんなキーワードが頭に浮かびます。 親には従うべき、それが子供の努め、 そんなことをずっと感じて生きてきました。 でも、今になって思うと、 本当にそうなのか? という考えに至ることになりました。 勿論、両親に対して、産んでくれた感謝、育ててくれた感謝の念は絶えません。 ですが、幼少期に受けたトラウマは、大人になってもやはり消えることはありません。 どうして、こんなにも両親や弟を愛せないのかという、 息苦しい葛藤の中33年生きてきました。 それのはけ口が、創作であり、自分の作品なのではと感じてます。 価値観が違い、会話もすれ違い、受けた傷は沢山あります。 それを押し殺しながら生きることが、本当に幸せなのか? 自分から向き合いたいと言っても、向き合えない親がいて、 彼らを変えることができな