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5月, 2016の投稿を表示しています

初代・林家三平師匠に見る第3の視点

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笑点の新メンバーに二代目・林家三平師匠が決まりました。 10年ぶりのメンバー一新、そして日本テレビ屈指の長寿番組なだけに メンバーの刷新はさぞ、慎重に行われたことと思います。 小生なんかは、やはり初代林家三平師匠の方がとても印象深く感じられます。 小生小さい頃から、お笑いが大好きでして、 貪るようにお笑いを見ていたのが幼少期。 再放送で三平師匠の映像が出るたびに、 ああ、この人は天才だなと食い入るようにテレビを観ておりました。 何がすごいかって、三平師匠って結構噛むんです(笑) 途中で口上を忘れたりするんです。 それなのに、それを失敗と捉えず、逆に会場の心をつかむ笑いに変えてしまう。 よく小生が講演で使っている心理学のワードの「第3の視点」を うまく使えているわけです。 例えば、会場にお客さんが途中から入ってきたとしても、 そのお客さんにスポットをあてて、低姿勢で 今までの要点をそのお客さんに伝える。 その時、それ以外の大多数の観客は三平師匠とお客さんに注目をするわけですが、 そこでいままで、大衆と三平師匠との関係性が崩れ、 お客さんの心に、ああ、この空間はこんなにリラックスしてもいいんだなという 心ののりしろが生まれるわけです。 初代三平師匠が作った 失敗をも恐れず、チャンスに変える姿勢、 そして、お客さんと一緒の目線で一体となり場を生み出す心構え、 この習慣は、皆さんのお仕事の場でも大いに使えるものではないでしょうか。

犬猫の命から私たち大人も学ぶこと

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小生が手がけた前作「ノー・ヴォイス」は お陰様で各地での上映会が続いており、 来月は北九州で300名の会場で上映会が開催されます。 数日前は、NHKクローズアップ現代で 「追跡! ペット業界の闇」というタイトルで 犬猫たちの命が売買される日本のペット事情の裏側が放映されました。 小生も自分がこのテーマを手がける前は、 犬猫たちの命が大量に殺されていることなど知る機会がありませんでした。 映画・テレビと昨今殺処分を取り上げる作品が出てきてまいり、 こうして考える機会を積極的に作っていくことが 認知を促進していく上でとても重要だと思っております。 小生が懇意にさせて頂いております児童文学作家の今西乃子先生も 常々おっしゃられておりますが、 この問題はペット・犬猫を飼っている人の問題ではなく、 社会全体を通じて、人間がどう生活をしていくかという 生活のあり方の根源の問題だと思っております。 経済が回ることを追いかけていくと 自分はいいけど、自分とは関係ないものは無関心・無駄・利用してやる という意識が働くのだと思います。 それがペットを物として考え、お金の代替しか考えられない 乏しい発想だと思います。 自分が苦しいこと、人の痛みを経験した人は、 それがいかに残酷で、辛いことかを知っております。 逆に人の痛みを分からない方というのは、 表面上は繕っていても、心の部分では利己主義に走るものです。 殺処分問題を、常々、蛇口と受け皿で伝えておりますが、 この問題で大切なことは、 受け皿(=殺処分間際の犬猫を保護する方)を増やすことはもとより、 蛇口である捨てられる命をいかに減らしていくことだと考えております。 犬や猫を飼う時に、飼い方の正しい知識や心構えを備える。 自分本位で買うのではなく、一緒に楽しく生活ができるためには、 何が必要なのかを飼う前に抑える。 犬猫の飼育には、時間もお金も多く必要。 それが確保できるのか。などなど。 犬や猫は基本自分たちだけでは生きることができません。 食べるものをもらい、衛生面・健康面でサポートをしてあげなければ、 生きることができません。 この考えとつながることには、 自分たち人間も誰かのサポートがなければ 大人になれなかった ということな

志は気の帥(すい)なり

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連日、アクティブ・ラーニング、表現力、コミュニケーション力をテーマに 様々なお打ち合わせが続きます。 昨日は、横浜の江田にある パイオニアランゲッジ スクールさんに行ってまいりました。 教育コンサルタントの 沖山賢吾 さんがお引き合わせ下さいました。 このご縁に心より感謝いたします! パイオニアランゲッジスクールの中村由香里さんが、 小生のシネマ・アクティブ・ラーニングにご関心を示して下さいました。 目先の学力やテストを目的としない教育のあり方で気持ちが合致し、 今回こちらの塾のアクティブ・ラーニング、表現力で 新規店舗の開店とそこでの教育プログラムのお手伝いをさせて頂くこととなりました。 お母様の祐子さんが静岡で開業されてからの2代目にあたる由香里さんは、 ご自身の海外留学体験も踏まえて、日本に新しい教育のあり方を展開しようと 積極的にいろんなことをトライされております。 人間力や表現力を備えた英語の力を付けてもらうことが 社会に出た時に本当に役立つ学びとなるという信念は、 小生が現在展開しているシネマ・アクティブ・ラーニングと正にベクトルが一緒です。 お教室を見学させて頂きビックリ! お子さんも先生も皆さん、笑顔がステキでとてもイキイキとされておりました! 由香里さんのお人柄溢れるお教室だなと。 こうして、民間の塾でも当社プログラムをご提供できることを 何より幸せに感じております。 他にも様々な教育関係の方々とお会いして共通する話題とは、 大学受験だけが目的の勉強から脱して、 社会との接点を感じながら、失敗を恐れずにチャレンジする精神性を持った 教育を行いたいということ です。 みなさん、それぞれの教える立場から、それぞれが本気勝負。 周りの目を気にせず、向き合っている相手にとって如何に有益なものを 提供できるかを真剣に、そして果敢に取り組んでおられます。 そんなお打ち合わせを毎日こなしていると、 「志は気の帥なり」という孟子の言葉が思い浮かびます。 「人間は生まれながらにして善である」という性善説を説いたことで有名ですが、 小生はこの考え方、大変共感いたします。 「志は気の帥なり」 社会に役立つ目標を持った時、機会や人々を惹きつける精神的な力が宿る とでも解説いたしましょう

仕事とは技術は元より人と愛で生み出すもの

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毎日、深夜の帰りが続きます。 ありがたいことに、いろいろな方々のお誘いを頂きながら、 自分が今できることは何かを徹底的に考えながら、時間を使っております。 思うことは、生まれるお仕事、ご相談頂くお仕事全て、 その人の人柄に起因すると思っております。 技術の蓄積、技術の提供は勿論最低限必要ですが、 それよりも、その人がどれだけ、真摯に仕事に向き合っているか、 そのクライアントを尊敬できるかだと思っております。 これは、仕事だけでなく、教育現場での教師と学生との関係も近いと思います。 知識をいくら披露しても、それは相手に響きません。 テクニックをいくら伝えても、それは単なるコピーでしかありません。 大切なことは、いかに向き合っていることを深堀ができるか、 そして、その環境を取り囲んでいる人と如何に向き合えるか、 人と愛。 毎日、様々なお仕事をさせて頂き、感じることはこれに尽きます。 頂くお仕事で愛を感じる。 逆に愛のないお仕事は、お請けしないスタンスも大切なのかもしれません。 当社でいうながら、 映画の仕事、映像制作の仕事、教育現場でのアクティブ・ラーニングの仕事、 全てに通ずる、大切なことだと思っております。

最近よく聞くリーダーシップの必要性について

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アクティブ・ラーニングに関して活動していると、 主体性、自発性を促す教育という流れから、 ダイバシティ、グローバル化に対応できる人材が求められているという 考えが社会に広がっている気がいたします。 ともすると、 アクティブ・ラーニングはリーダーシップを育成する仕組みでしょ、 みたいな話もちらほら聞かれますが、小生は違っていると思います。 日本は受け身の環境、相手の空気を読む雰囲気が強いので 主張ができない、国際社会で勝てないということを感じることはあります。 小生も仕事がら、会社を経営して、映画を監督する立場なので、 リーダーシップの気持ちを持つことは大切だと思っております。 ただ、リーダーシップを持つのは、チームの中の一部であって、 リーダーを補佐する人もいれば、 陰で支える人もいて、いろいろな才能のある方がいるわけです。 確かに今、日本にはリーダー的存在が少ないという感覚はありますが、 リーダー意識を創出するだけではなく、 チーム・組織でどのように個性を伸ばし、 それぞれが才能を尊重しながら、 連携を取っていくかの心構えが大切だと思っております。

仕事とは、顧客の顧客のために

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当社CFO兼COOの松本沙織がBiz/Zineというサイトにて取材を受けました。 小生との出会いから、当社での仕事の関わり方などをお伝えしております。 また、北九州のユーラステクノ社様とのご縁を頂き、 企業紹介映像を制作させて頂きました。 このようなステキな機会を授かりましたこと、心より感謝申し上げます。 当社は、 1)映画製作・上映会  2)企画・提案に力を入れたの映像制作   3)アクティブ・ラーニングワークショップ・講演会 の3つを事業の軸としております。 そこには、必ずB2Bにせよ、B2Cにせよ、コミュニケーションの活性化・向上化を 念頭にお仕事をさせて頂いております。 常に大切にしていることは、 ご相談頂いているクライアント様のニーズや目的だけではなく、 そのクライアント様が繋がっているのは、誰なのか、どのような方なのか という顧客の顧客を意識することです。 自分が直接触れる機会がない顧客に対して、 実際に現場に出向いていき、体感や体験を通じて、想像を働かせていき、 求められているものが何なのかを洗いざらい抽出していく。 そこに各案件のテーマが生まれ、それを元に内容を設計していく。 そんな風に心がけて仕事をさせて頂いております。 昨今お問い合わせが多いのは、インバウンドや日本の食に関するご相談。 小生は、映画を通じて、各地域に出向くことが多いので、 地方の魅力はよく存じているつもりです。 中から見ると当たり前のことでも、外から見るとかけがえのない価値で、 外の視点から自分たちの強みを理解していくことで 自分たちの資産に対しての誇りや自負心が芽生えてくると思っております。 地域活性には、若者・馬鹿者・よそ者の三つが必要と言われますが、 まさにその通りだと思い、 これからますます観光誘致や地方創生が進んでいく中で、 自分たちの当たり前を多角的に見つめていくことが、 経済発展のきっかけになると感じております。

寿司業界と映画業界で考える下積みは長い方が本当にいい?!

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半年くらい前に、ホリエモンさんにより 寿司職人は長い下積みが必要か? という議論がネットで 話題 になりました。 ホリエモンさん曰く、長い下積みは不要とのこと。 時代の流れで、昔のような職人としての下積みのあり方が変わってきたのでしょうね。 確かに長い時間下積みをすることは、 一つ一つを丁寧に覚えて、師弟関係を構築していくという 伝統文化継承 の一つのあり方なのでしょう。 精神の鍛錬も磨かれ、その職を天職として 生涯全うするという意味合いもあるのだと思います。 逆に向いてない人間は、その下積みの間に淘汰されてしまうのでしょう。 もう一つ考えられるのは、 専売特許 の考え方です。 花形の職に技術ある若者が溢れかえってしまっては、 その価値が下がってしまうという発想。 お客を取られ、単価も下がってしまうという考え方です。 もしかすると、下積みを重視する意味は後者が強いのかもしれません。 映画の世界でも高価なフィルムを使って、 巨額の資金を投入するわけですから、 下積みが大切という発想は日本に昔から根付いております。 昔は40代で監督が若手と言われていた時代もあるくらいですから。 それだけ高価なものを扱うには、しっかりとした技術と人間性・精神性を備えよ、 という意味なのでしょう。 ですが、実は映画の世界にも、 日本では、代表作「人情紙風船」で知られる28歳で亡くなった山中貞雄監督 海外だと、「市民ケーン」のオーソン・ウェルズ監督は26歳。 実は、古い時代でも若い時に名作を作った監督は少なくありません。 今では、デジタルが普及し若手でも簡易的に撮影ができるようになった時代、 下積みを経験せずに、作品を撮る方は普通になってきました。 小生の場合は、映画監督に最初からなろうなんて全く思ってもいなかったので、 制作部・助監督・監督補など、現場の下積みをいくつも体験できたことは、 自分にとっては良かったと思っております。 同時期に学校にも通っておりましたが、 現場で学んだことの方が断然鮮明に覚えておりますし、 何より実践で生かせるものが多かったと思います。 下積み時代で最も価値を置いているものは、精神的な鍛錬に思えます。 では、長い下積みと短期間で実践に出るのは、

教育が地域やロボットと連動していく

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毎日お陰様で様々な職種の方とお打ち合わせしますが、 それぞれのビジョンやターゲットのベクトルが近しいこともあり、 横連携が生まれてきている状況です。 時代の流れもレイヤーの時代、いろいろな層を重ね合わせていく時代になったと 思います。 佐々木俊尚さんの「 レイヤー化する世界 」ではウチとソトの概念が崩れてくると お話されております。 まさに、その感覚を実感しており、それが標準な世の中なんだと思っております。 中世から近代国家まで国に仕組みの変化とインターネットの場との関係性 著書から一部、佐々木さんのお言葉を引用させて頂きます。 『「第三の産業革命」は先進国のウチとソトをなくし、 先進国も新興国も含めてひとつの大きな〈場〉をつくり、 ウチソトの境界を消滅させようとしています。 しかしそれは、いままでウチソトの境界に守られて豊かな生活を してきた先進国の人たちにとっては、恐怖でしかないのです。 だから彼らは、もうすでになくなってしまった境界がまだあると思い込み、 「ここに境界があるんだ!」と叫び、ソトの世界をにらみつけています。』  人との関係がフラットになってきた現代、 大切なことは、場を通じて、向き合っている個の関心がどこに向いているのか、 どのようにコミュニケートをしていくと双方向にポジティブを享受しあえるのか、 そういう共益共存の時代になったのだと感じております。 先週末は、大学・企業・そしてロボットのコンソーシアムなど 様々な機会を頂きましたが、 それぞれが、社会に対して、なにか時代よりも先駆けてアイデアを創出し、 横連携を取っていくことで、掛け算の理論から、 強固な関係とビジネスモデルの発信を打ち出していこうとされる姿が大変刺激的です。 小生の「あまのがわ」も、各業界の方々より、応援を頂き、 ゼロックス総研の小串社長のご紹介で ユナイテッドブックスの神澤社長とお会いし、 次回作の分身ロボットOriHimeをモチーフにした 映画「 あまのがわ」の制作に向けて、力強い応援を頂くことになりました。 屋久島の持つ大自然の息吹が、人間の豊かさに対してのアンチテーゼのように思え、 大切なことは身近な営みに対しての畏敬と感謝。 そこから、他者と幸せを共有していくあり方へと

2七角成らずの将棋にみる人間とロボットの共生

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昨日のNHKスペシャル「 天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る 」が SNS上で大変話題になっておりますね。 残念ながら、小生はテレビがない生活なので、 次回水曜の再放送をどこかで録画したいと思っております。 小生の鋭意制作準備中の次回作「 あまのがわ 」も 分身ロボット・OriHimeをテーマにした作品です。 テクノロジーが急速に発達していく中で、 人間ではできないロボットならではの役割があることを いろいろな場面で感じております。 将棋や碁の世界でも、ロボットと人間、どちらが優秀かを争う場面が 度々話題に上がります。 その中でも、ロボットならではの面白い小局がいくつかありますが、 2015年の第2局なんかは、とても象徴的だと思っております。 対戦の終盤、AIロボット「Selene」が追い込まれた局面で、 永瀬六段は、相手の陣営に駒を進めて、 100%成るはずの馬(角の進化版)の駒をあえて、 弱いままの角の駒にしたままにしたのです。 人間との対局では100%ありえない手筋で、 あえて、このような手を打ったのがまさに人間の叡知を振り絞ったと言える手で 解析できないプログラムの手筋にSeleneの思考はストップしてしまい、 AIが負けてしまったという例があります。 逆に、かの有名な車椅子の物理学者・ホーキング博士は、 AIが人類を滅ぼすという内容の警鐘 を促しているくらいで、 これからの世界、自分たちで生み出してしまったもので、 自分たちが滅ぼされる時代が本当にくるかもしれません。 小生が思うことは、先の将棋の理論ではありませんが、 ロボットはあくまで人間が生み出したもので 完璧ではないということ。思わぬ落とし穴が必ずあるということ。 またロボットにはできない人間だからこそできる不安定さもあるということです。 もしかしたら、ホーキング博士も、ロボットの完全優位性ではなく、 不安定さから生まれる脅威を示唆しているのかも知れませんね。 小生が物理をひたすら勉強している時に学んだことは、 物理と哲学とは表裏一体の関係にあるということ。 尖った鉛筆を理論上立てられても、 実際には決して立てることができないのと同じ考え方です。 人間の鼓動だって不安定なのですから、 安定

アンケートを上手に使える講師とは?

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みなさん、こんにちは。 少しずつ気温も来て、汗ばむ日も出てきましたが、 如何お過ごしですか。 先日の玉川大学・小酒井研でのシネマ・アクティブ・ラーニングを ゼミ生の方が ブログ に投稿してくださいました。 よかったらご覧ください。 アンケートも満足度の高い評価を頂き、加えて貴重なNEXT STEPも 個々人まちまちに頂けたことがとても嬉しかったです! 大変参考になります。 駿台予備校時代もアンケートってありました。 予備校講師は、生徒の評価が先生の価値を決める一つの指標でもあります。 10年前は、アンケートの成績ばかりを気にしていたのですが、 大切なことは、実はこうなのかなと思っております。 東進スクールの林修先生は、徹底的にアンケートを見て、 その中から悪かった評価を探し出すということなのです。 ベテランの講師になっていくと、中には アンケートなどくだらないと捨ててしまうと言われる方もいて びっくりしましたが、 生徒の気持ちを大切にして、向上心を強く持っている人こそ、 真の講師なんだろうなと思っております。 ・三流の講師は、アンケートを無視する ・二流の講師は、アンケートの良い部分しか見ない ・一流の講師は、アンケートの悪い部分をしっかり受け入れる 教える側は、いくつになっても謙虚さを忘れず、 向上心をもって、成長を求めていく必要があると感じております。

社会で必要とされる力とは?〜玉川大学・小酒井ゼミでシネマ・アクティブラーニング〜

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皆さん、こんにちは。 昨日は、玉川大学のコザカイ組(小酒井研究室)で 「シネマ・アクティブ・ラーニング」を開催させていただきました。 大学生の教員、大人混合にて開催をさせて頂きました。 玉川大学工学部マネジメントサイエンス学科マネジメントコントロール研究室(小酒井正和研)のコザカイ先生はとてもユニーク! ガンプラオタクで萌えキャラ大好きな先生が ドローンやICTなど様々な観点から社会をデザインしていく仕組みを 研究されている方です。 先日のiTeachersTVの控え室でお会いしてから意気投合! 今回のこのような機会につながりました。 研究室の顧問でもあります 力丸 萠樹先生 もご紹介頂きました! コミュニケーションをご専門にされているとのことで、 こちらもステキなご縁が繋がりました! コザカイ先生ありがとうございます! せっかくなので、大学生と先生・社会人混合でワークショップを開催いたしました。 先日の静岡・韮山高校スタイルです。 今回のテーマは、社会で役立つコミュニケーションの実践法ということで、 「物語発見力」と「演技表現力」の2つを開催いたしました。 一般社団法人 日本経済団体連合会(2014年) 企業が求めている社会人の素養 https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/001_kekka.pdf   一般社団法人 日本経済団体連合会(2014年) https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/001_kekka.pdf   これらのグラフから、社会で「コミュニケーション能力」が最も求められていることがわかります。 コミュニケーション能力とは、 「感情」をうまく使って(コントロールして)、双方向で円滑なやりとりを促せる力 と小生は考えます。 従来の学校教育のテスト・偏差値重視ではなかなか養えないものが 社会では最も必要とされる。 その矛盾に小生も10年前から気づいていたので、 力を入れてシネマ・アクティブ・ラーニングを力を入れて展開しているわけです。 ものすごく綺麗で完成な校舎にビックリ!! 学校開催恒例、学生と教師が一緒になって参加いただきます。 先生も必死インワーク

しくじり先生のオリラジ・中田敦彦さんにみる教室の場づくり

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「 しくじり先生 俺みたいになるな!! 」という番組、 ご覧なったことがあるかと思います。 人生で大失敗した方が、自分の失敗談を語って、教訓を伝える番組なのですが、 現在「Perfect Human」で有名な オリエンタルラジオの中田敦彦さんが偉人のしくじりを 語る内容が凄まじく面白いのです! マラドーナ、アインシュタインなどなど 様々な偉人たちの知られざる失敗談を語るのですが、 小生のオススメの回は、資本論のマルクスでした。 世界で聖書の次に最も読まれたのがかの有名な「資本論」 思いがけないダメさぶりから、偉人の面白さ以外にも、 歴史の面白さも分かりやすく理解ができる。 お笑い版池上彰さんといったところでしょうか。 中田敦彦さん、慶應大学出身のインテリで、塾の講師経験もあるからでしょうけど、 こんな日本史や世界史の先生だったら、絶対に居眠りが起こらないだろうなと思いました。 1)自分の過去の失敗談を入れながら、ネタにしている。 自分の過去や失敗というのは、しゃべりたくないという人もいるかもしれませんが、 それを強みにしているところが人間として引き込まれるわけですね! 2)テンポと問いかけ 漫才を見ているかのようなテンポ感と、逐次先に進みたくなるような内容での あえての問いかけ。 そこからの答えが思わずびっくりで 受けている方が、え? これ何? って聞いてしまいそうなトークがうまいのですね。 3)聴衆の目線 「この話、難しいですよね、そう思います」 「この難しい話、まずは結論から言いますと〜」 のように決して上から目線ではなく、視線が平等なところが 好印象! ご覧になったことがない方は、ぜひご覧いただくと、 教える側のテクニック、人前で話すテクニックが学べると思いますよ。 あっちゃんかっこいい!

歩くアクティブ・ラーニングの6つの条件とは?!

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皆さん、こんにちは。 連日、様々な方とのお打ち合わせが続きます。 教育機関だけでなく、企業や社会人も 教育や学びの重要性を享受して いる時代だと感じております。 社会人の定義をどこかで調べたときに、 「勉強を終えた大人」みたいな定義が書かれていてビックリ致しました。 いえいえ、何をおっしゃいますか。 社会人こそ、ひたすら勉強が必要ではないかと思いました。 日本の教育はどうしても目先の目標ばかりに目が向きがちですが、 学びとは人生一生涯かけてとことん追求していくもの 。 その中に、大学や高校があり、履修する科目があると思っております。 その中で、昨日、お打ち合わせさせて頂きました方から、 一時間以上の白熱したお打ち合わせが終わった後に、こんな言葉を賜りました。 「 監督は歩くアクティブ・ラーニングですね! 」と。 歩くアクティブ・ラーニング?! その方が、お話しされたことをご許可を頂き、 以下の6個に分けてそのままの文章で綴らせて頂きます。 小生なりに補足を付け足してみました。 1)やはり人は体験によって学ぶところが多い。 何かの書籍や誰かが唱えたことがベースにあっても、 結局は自身で歩いて経験したことが、それぞれの方々の学びとなり、 他者の共感を生んでいくということなんでしょう。 2)体験は、自ら求めて得るモノと他者から 与えられて得るモノがある。 1を踏んだ上で、経験を積んでいくと、 その自分と共鳴する他人との出逢いや出来事が起こるわけなんでしょうね。 自分軸と他人軸の掛け合いから、また新しい学びが育まれていく。 3)他者から与えられて得る良質の体験は、 良い効果を与え良い行動変容をもたらす。 潜在的に気付いていながらも表層や日常レベルまでは現れていなかったものが 自分と一体化されていくことで、外部刺激が成長要因へと遂げていくということでしょう。 4)しかし、それを与えられる者には 人の痛みが理解できる経験からくる愛が必須である。 これは、とても重要です! 単に優しい言葉やカッコいい言葉というのは、中身がスカスカな肉まんのようなもの。 苦労をして、他者の辛さや痛みを感じることで、自分から進んで物事を進める主体性や推進力が生まれてくるものと思います。 小生の知っているとあ

聖徳学園とアクティブ・ラーニング

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皆さん、こんにちは。 本日は、武蔵境にあります 聖徳学園 さんを訪問して参りました。 第2回のアクティブ・ラーニング・フォーラム にご参加下さいました 英語科の小野先生からのご依頼で、校長先生に当社松本と共にご挨拶に伺いました。 玄関で出迎えてくれたのはPEPPER君! 物珍しそうに興味津々な松本は積極的にPEPPER君に声を掛けるも、 話がチグハグ(笑) ご機嫌斜めなのかしら? 聖徳学園さんでは、小野先生を筆頭にアクティブ・ラーニングを積極的に 取り入れているとのこと。 また、商店街と密着したフリーペーパーやJICAさんと連携を取って ベトナムで職業体験ツアーなども行われており、 その校風に二人して素晴らしいなと共感のしっぱなしでした。 伊藤校長先生には、小生が駿台予備校の講師であったことや、 カウセンラーを目指していたこと、 社会と繋がるアクティブ・ラーニングを開催していることを お伝えさせて頂き、大変関心を示してくださったのが嬉しかったです。 聖徳学園さんでも、教職員研修を積極的に取り組まれているとのことでしたので、 先日、 韮山高校で行った「シネマ・アクティブ・ラーニング」 で 教職員の方と生徒がフラットな関係でグループを作りながら、 学びの楽しさや双方の考えや気持ちを伝え合う発想法の事例をお伝えしたところ、 校長先生より、目から鱗とお褒めの言葉を頂き、とても嬉しく思いました。 先生と生徒が立場を越えて、本音をぶつけ合います。 アメリカの教育現場を視察された校長先生のお考えから、 ドラマや映像制作の仕組みを積極的に教育現場に取り入れたいとのことでしたので、 とてもお話が弾みました。 また同行させた当社・松本は、オリックス株式会社に勤めた後に、 行政書士の資格を取ったので、 現在、小生と同じ下北沢聖徳高校で経営・起業の講師を年間で勤めております。 聖徳学園さんでも、社会起業家への関心を強く持たれているそうでしたので、 松本の 下北沢聖徳での授業の取り組み も、とても関心を示してくださいました。 こうして、映画監督・コミュニケーションデザイナーの小生と 行政書士・コーポレートデザイナーの松本が一緒になって

アクティブ・ラーニングでコラボレーションを楽しもう!

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突然ですが、「ベビーメタル」ってご存知ですか。 そんなの知ってるよ! という方も少なくないですよね。 全米を賑わせている女性3人組のメタルダンスユニットです。 坂本九さんの「スキヤキ」以来全米のヒットチャートを賑わせている日本人です 。 なんでこんな話をしたかと言うと、 彼女たちの面白いところは、モーニング娘。やAKBのように アイドルとしての可愛さを売りにしているのはもちろん、 楽曲がアイドルとは懸け離れたメタルを楽曲に取り入れているところなんです。 例えば、プロダクトなんかでも、 チョコレートとお茶の商品を組み合わせた こちら とか。 文房具もメイクグッズと合体したのが こちら とか。 昨今、コラボ商品がとても流行っております。 商品がヒットしていくには「 進化型 」と「 協働型 」の2種類があると思ってます。 とことんそのものの性能や質を追求していき価値を高めていく「進化型」と ある程度の価値が見出せた時点で何かと融合させることによって独自の価値を創出する「協働型」 日本人の気質からすると、匠を追求する進化型が美とされてきたのではと 小生は考えます。 物事の一つを徹底的に追求する職人気質です。 一昨日のブログで書いた通り21世紀は、情報を処理する時代から 編集するの時代へと変化を遂げました。 ソーシャルな在り方が標準化し、 フラットな関係で相手を尊重し合う発想が標準となり始めております。 商品や情報が協働型になっている中、 教育の世界もこの協働型が求められているのでは? と思うのです。 アクティブ・ラーニングも時代の流れに沿って、 個人の価値を深めていくだけでなく、 他者との協働の中で価値を創出していき、社会との接点を生み出していく。 実は 数学や英語など 教科や文系・理系などの区別も越えて、 創造を楽しんでいくという発想 が、 アクティブ・ラーニングの根底にあるのだと考えております。 こうなると 学年や世代を越えて、学びを享受しあい、楽しみ合う 。 日本が江戸時代に日常であった「 寺子屋 」の考え方、そのものではないのでしょうか。

アクティブリスニングがアクティブ・ラーニングの原点?

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皆さんは 「アクティブリスニング」 という言葉を聞いたことはございますか? アクティブ・ラーニングという言葉は、 実はアクティブリスニングから来ているのでは? と個人的には考えております。 アクティブリスニングとは、コーチングの理論で、 信頼関係を気づくのに必要な傾聴の姿勢です。 日本人は対人関係が苦手と言われておりますが、 世間や空気というものを重んじるがゆえに、 言葉で発しなくても空気を読め、という風潮が漂いがちなんだと思います。 満員電車なんかを見てもそうでしょう。 押し合いへしあいしながら、人を倒してでも電車に乗り込み、降車する。 あれには、黙っていてもちゃんと行動しろよ、という日本人的な潜在意識が あるからだと思います。 ですが、小生なんかは、一声掛け合いながら、降りればいいのになと 思えてなりません。 昔と現在とでは、社会の風潮は大きく変わっております。 時間の流れも早ければ、情報も散乱している。 社会の当たり前の風潮から、一歩視点を変えてみる、 行動を変えてみるということは大切だと思い、 先ほどの満員電車の例ならば、 小生は必ず自分から声を掛けることが日常になっております。 学びにおいてもこういうコミュニケーションのあり方が基本にあり、 主体性や自発性が促されると考えております。 対人関係をよくしていく発想の一つに 「アクティブリスニング」というコーチングの理論がございます。 価値観や立場が違う相手との信頼関係を築く際に、 「積極的傾聴=耳で聞くではなく、心で聴く」という発想です。 手順としては、こんな感じでしょうか。 1)心と顔に笑顔:相手を受け入れる、 2)うなずき:相手の話を同調する姿勢 3)オウム返し:相手の言葉と全く同じ言葉を繰り返す 4)共感:同じ気持ちを飲み込んでいき、感情を想起していく 5)まとめ:会話の振り返りをしながら 相手を全面的に承認をすることで、お互いの心が近づき、 相手との対話がスムースになるという理論ですが、 アクティブラーニングにおいても 能動的、自主的になる段階に持っていくには、 この傾聴スキルがとても大切だと思っております。 キャッチボールだって、子供相手なら、 相手がどんな速度でどんな勢いで

今までの受動型講義は果たして間違っていたのか?

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みなさん、こんにちは。 とても穏やかな週末ですね。 お天道様にも恵まれ、行楽日和、如何お過ごしでしょうか。 お陰様で小生のブログに向けて貴重なご感想をいただき、 皆様のご関心が高いんだなということを感じることができております。 心より感謝いたします! 急速にアクティブラーニングのキーワードが普及しだしたのも 一昨年の前文部科学省の下村大臣が教育現場の抜本的改革の目玉として 打ち出してからなのですが、 現場の先生方の中でも、実は当たり前にこの取り組みをしていて、 ようやく時代が追いついてきたと感じている方も少なくはないのでしょうか。 日本は音楽にせよ、動物にせよ、 ブームや流行にとても敏感なので、 アクティブラーニングも単にブームで終わらないよう、 持続的に意義あるものとして発展させていきたいなと思う次第であります。 アクティブラーニングが肯定的に考えられると、 今までの受動的な講義は間違っていたのか? という問いに問い沙汰されます。 みなさんはどう思われますか? 例えば、社会や経済など時代の流れによって相場や市場が変わるように 教育も変容が当たり前であり、 今までの教育のあり方は20世紀型の「成長社会」にはとても合っていたと 思っております。 「 世の中科 」の藤原さんの言葉を借りると 1998年で成長社会から成熟社会へと変化をしたとのこと。 山一証券や北海道拓殖銀行の破綻、GOOGLEの起業などの節目から 時代がソーシャルに横並びの関係を重視する発想に広がっていきました。 そのような社会変化のもと、みんなが一緒の正解を求める正解主義から 個々人それぞれが自分の納得解を模索していく修正主義 へと変わったとのこと。 情報やマーケットも一方方向からソーシャルに変わり、 双方向のコミュニケーションが基本となる社会へと変貌をしていったわけです。 ともあれば、教育の世界もそれだけ大きな変化を遂げることは必然で、 情報を処理する能力から情報を如何に個々人が編集してアウトプットできるかが 求められてきている時代になったというわけです。 インターネットやスマートフォンの普及も短いこの10年くらいの間に急速に発達し、 社会環境も見方、視点、コミュニケーションも大きな変化を遂げたと思います。

エデュテイメントとアクティブラーニング

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こんばんは。 今年はGW10連休という方もいらっしゃるみたいですね。 羨ましいなと思いつつも、自分がそんなにお休みを取ってしまったら きっと1日で飽きちゃうかもしれないなーと思ったりもしています。 さて、みなさんはエデュテイメントという言葉をご存知ですか。 教育分野では何十年前から使われている言葉として、 教育と娯楽を融合させた意味で用いられます。 子供向けのテレビ番組や博物館などでの学びがそれに相当します。 文部科学省でも「 エデュテイメント 」の専門ページがあるんですね。 初めて拝見して、思わず面白いなと思いました。 小生が掲げている映画×アクティブ・ラーニングもまさに エデュテイメントの分野に近しいんだろうなと思っております。 学びには、体感や体験を通じて、五感で身につけたことほど、 記憶に定着し、持続してそれを生かそうと思う意識が芽生えると感じております。 英語にせよ、理科にせよ、 話してみたり、実験してみたりして、 成功だけでなく、失敗をすることで、 それが自身の学びとして定着をする経験はございませんか。 そう、失敗をすることは、しっかりとした学びになっていく。 この発想は、エデュテイメントの枠を越えて、 人生の知恵として、学生がそれを自発的に生かしていく きっかけになるのだと思っております。 英語の発音にせよ、日本語の本来の意味にせよ、 使ってみて、他者から初めて、それっておかしくない? と指摘されることで、その言葉に対しての愛着が生まれ、 その言葉を返ってよく使うようになる、みたいなことってあると思うんです。 エデュテイメントも今までならば特定のテレビを見てこう学びましょう とか、特定の場所にいって、こういう仕組みなんですよ と知ることが多いと思うのですが、 体感をする上でも大切なことは、 「すべての答えが初めから決まっていないこと」 だと思っております。 答えが決まっていることを学ぶことは、 教える側もおざなりのままで定型化、習慣化してしまい、 そこにはワクワクが教える側、教わる側、双方で好奇心が薄れてしまい、 偶発的な気づきが生まれづらくなってしまいます。 固定のフォーマットとしての狙いを定めながらも、 常に学びの空間においては、 固定化されが

教育はカウンセリングと密接な関係にある

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みなさん、こんにちは。 GW如何お過ごしでしょうか。 小生は久々に井の頭公園でのんびりとした時間を過ごしました。 木々や水に囲まれると忘れていた奥底にある自分を思い返す気分に浸れます。 最近思うことは、想いの近しい人々が横連携でつながり始めているということです。 自身の掲げている「映画」という活動も、 元来興味があった「教育」と分野と融合をし始め、 さらには、小生が大学の時からずっと学んでいた「心理学」とも繋がり始めている。 アクティブ・ラーニングをキーワードに様々な場所に伺う機会を頂いておりますが、 小さい頃、自分が思ったことは、 学びとはもっと自由に、もっと子供目線で、もっと社会と接点を ということでした。 教科書やテストだけが学校の基準になっているのに疑問に思い、 自分の関心があることを掘り下げ、それを評価基準にしてもらう環境が あってもいいよなと思っていたのが小学生時代でした。 昨今、学びのあり方が急速に変わっていく中で感じることは、 教える側がいかに、教わる側と空間を楽しめるかということです。 21世紀はフラットな関係が標準となっていく中で、 上限関係ではなく、相互が対等に連携を取り合う姿勢や発想が 学びの空間を有機的に循環させ、自然と成長をさせていくきっかけだと感じております。 そこには、他者を尊重や尊敬するということも キーワードに上がるのだと思っております。 ともすれば、教育とは、知識を伝達するだけではなく、 如何にその知識を相手と共に議論して、 お互いにその議論を対等な立ち位置で深め合っていけるかが大切なのではと 思っております。 密閉された箱の中ではロウソクがすぐに消えてしまうように 主体性、自主性というのは、 上から押し付けられた時点でその灯火は小さくなってしまうものです。 本来の学びとは、何かを決めつけて、その答えに猪突猛進させるのではなく、 一緒にその過程を議論しながら、お互いに楽しんでいくものではないかと 感じている次第です。 この発想は、自身が大学の学部時代に目指していた カウンセラーの姿勢に近いのかもしれません。 相手に何かを植え付けるのではなく、相手の持っているものを上手に引き出し、 適宜、足りない部分をそっとアシストしながら、