相馬野馬追・二年の軌跡vol.3〜中野編〜
第3回目の上映会は、中野駅から徒歩数分のところにある「なかのば」さんで
開催を致しました。
この日のゲストには、いわき市立湯本第二中の澤井史郎校長先生が
この上映会のためだけに、わざわざご来場を頂きました。
澤井先生は、相馬野馬追/本映像と教育との関わりに付いてご感想を賜りました。
澤井先生のお話はとても面白く、聴く方がついつい聞き入ってしまうお話でした。
震災直後、学校を開放し、避難されている方々が過ごしやすい環境を確立され、
中学生がボランティア活動を通じて、社会への貢献の意識を伝えていかれました。
被災地に必要なことは、元気を取り戻すこと。
比較的被害が少なかったいわきが
他地域のためにできることはボランティアだと思いつき、
まずは、東京から来た毛布を、洗うことを行ったそうです。
その750枚は、その冬のうちに全て配布されたとのことでした。
翌年には、澤井先生は、子供たちに中野のオリーブ栽培の活動などを通じて、
自分たちの手で復興を手がけていくことの大切さを教えていかれました。
「かわいそう」では何も始まらない。
今の教育は、手法を重視して、何故それを教えるのかというその先の目的を
伝えられる先生が数少ないとお話されておりました。
被災地で必要なのは、過去の悲惨さを思い返すことではなく、
未来に向けて何かを進めていくという力。
手を汚してゴミを分別したり、ご老人のために食事の準備をしたり、
誰かの為に何かをするという姿勢を教育現場に押し出していきたいと話されていました。
また、相馬野馬追の映像をご覧になられ、
その場所に住み続ける所以は、文化だと熱く語られておりました。
毎年、必ず行われる祭を楽しみにその場所で生活をするきっかけが芽生え、
元気や希望が溢れるには、文化が大切であり、
野馬追の映像から、辛さや悲惨さではなく、前に踏み出す力強さを感じられたそうです。
私自身も、この映像は、生徒さんと先生が一緒にご覧になって頂き、
「文化とは何か」「地域とは何か」を語って頂くきっかけにしてもらいたいと思います。
今回の映像は、出来る限り主観を取り除き、
ソーシャルメディアを通じてご提供頂いた映像素材を繋ぎ合わせたものです。
画質の差もあれば、手ぶれしている素材もあります。
ただ、各撮影者の方々の視点を繋ぎ合わせると一つの映像資料となることを
この時代ならではの環境がもたらした初めての経験でした。
この映像は、もしかすると、
被災地のことだけを取り上げたものではないのかも知れません。
世代間の交流が簡素になり、
震災以降離散した家族が出てきてしまっているこの時代だからこそ、
私たちが大切にしているものは何で有るかを考えていき、
地域の素晴らしさ、生活を豊かに暮らしていくには何が必要かを
是非、世代を越えて語り合って頂けたらと思っております。
三回の上映会を通じて感じたのは、
私が被災地にしていきたいサポートは「教育」であるということです。
仮設住宅に住み続ける方が沢山おられ、その方々は大変なストレスを感じながら、
生活をされていることと思います。
そして、現地には子供たちが次々に地元に戻ってこられているようです
その中で、コミュニティが崩されてしまった地元に
生活をする希望を生み出してくれるのは、子供たちだと感じます。
今回の澤井先生の出会いを通じてさらに強まった気持ちは、
福島の子供たちに会いにいきたいということです。
これから上映を通じて、
私自身がこの映像をなぜ創ったかをお話させて頂きたいと思います。
澤井校長先生も大切にされている子供たちと社会人が交わるきっかけを
積極的に取り組んでいきたいと思います。
きっと、それは私自身も子供たちから
何かを勉強させて頂くことになるんだろうと思っております。
そして是非、生徒さんに動画カメラを持って頂き、
皆さんが各視点で撮影した映像を繋ぎ合わせて、
一つの作品を創ってもらえたらステキだなと思います。
そんなお手伝いを自分自身が映像のことをお話させて頂き、
きっかけを創っていきたいと強く感じております。
開催を致しました。
沢山の方に集まって頂きました |
この上映会のためだけに、わざわざご来場を頂きました。
澤井先生は、相馬野馬追/本映像と教育との関わりに付いてご感想を賜りました。
USBメモリに写真を入れて、お話をいただきました |
震災直後、学校を開放し、避難されている方々が過ごしやすい環境を確立され、
中学生がボランティア活動を通じて、社会への貢献の意識を伝えていかれました。
被災地に必要なことは、元気を取り戻すこと。
比較的被害が少なかったいわきが
他地域のためにできることはボランティアだと思いつき、
まずは、東京から来た毛布を、洗うことを行ったそうです。
その750枚は、その冬のうちに全て配布されたとのことでした。
翌年には、澤井先生は、子供たちに中野のオリーブ栽培の活動などを通じて、
自分たちの手で復興を手がけていくことの大切さを教えていかれました。
「かわいそう」では何も始まらない。
今の教育は、手法を重視して、何故それを教えるのかというその先の目的を
伝えられる先生が数少ないとお話されておりました。
被災地で必要なのは、過去の悲惨さを思い返すことではなく、
未来に向けて何かを進めていくという力。
手を汚してゴミを分別したり、ご老人のために食事の準備をしたり、
誰かの為に何かをするという姿勢を教育現場に押し出していきたいと話されていました。
また、相馬野馬追の映像をご覧になられ、
その場所に住み続ける所以は、文化だと熱く語られておりました。
毎年、必ず行われる祭を楽しみにその場所で生活をするきっかけが芽生え、
元気や希望が溢れるには、文化が大切であり、
野馬追の映像から、辛さや悲惨さではなく、前に踏み出す力強さを感じられたそうです。
私自身も、この映像は、生徒さんと先生が一緒にご覧になって頂き、
「文化とは何か」「地域とは何か」を語って頂くきっかけにしてもらいたいと思います。
今回の映像は、出来る限り主観を取り除き、
ソーシャルメディアを通じてご提供頂いた映像素材を繋ぎ合わせたものです。
画質の差もあれば、手ぶれしている素材もあります。
ただ、各撮影者の方々の視点を繋ぎ合わせると一つの映像資料となることを
この時代ならではの環境がもたらした初めての経験でした。
この映像は、もしかすると、
被災地のことだけを取り上げたものではないのかも知れません。
世代間の交流が簡素になり、
震災以降離散した家族が出てきてしまっているこの時代だからこそ、
私たちが大切にしているものは何で有るかを考えていき、
地域の素晴らしさ、生活を豊かに暮らしていくには何が必要かを
是非、世代を越えて語り合って頂けたらと思っております。
三回の上映会を通じて感じたのは、
私が被災地にしていきたいサポートは「教育」であるということです。
仮設住宅に住み続ける方が沢山おられ、その方々は大変なストレスを感じながら、
生活をされていることと思います。
そして、現地には子供たちが次々に地元に戻ってこられているようです
その中で、コミュニティが崩されてしまった地元に
生活をする希望を生み出してくれるのは、子供たちだと感じます。
今回の澤井先生の出会いを通じてさらに強まった気持ちは、
福島の子供たちに会いにいきたいということです。
これから上映を通じて、
私自身がこの映像をなぜ創ったかをお話させて頂きたいと思います。
澤井校長先生も大切にされている子供たちと社会人が交わるきっかけを
積極的に取り組んでいきたいと思います。
きっと、それは私自身も子供たちから
何かを勉強させて頂くことになるんだろうと思っております。
震災直後に現地に訪れた時に感じた臭い、 この映像を創ることになったきっかけ、 自分の過去とこの活動の繋がりを語らせて頂きました。 |
そして是非、生徒さんに動画カメラを持って頂き、
皆さんが各視点で撮影した映像を繋ぎ合わせて、
一つの作品を創ってもらえたらステキだなと思います。
そんなお手伝いを自分自身が映像のことをお話させて頂き、
きっかけを創っていきたいと強く感じております。
コメント
コメントを投稿