Japan Film festival in Los Angels受賞報告&現地日系移民の歴史

皆様、こんにちは!
暑かった夏も間も無く終えようとしておりますが、
如何お過ごしでしょうか。

小生は映画「あまのがわ」がロサンゼルスのJapan Film Festival in Los Angels
で「最優秀脚本賞」を受賞いたしました!
二日間行われました上映会も大変反響をいただき、
拍手が上映後鳴り止まず、感極まりました。
いつも温かい応援を授けてくださっている多くの皆様に
心より感謝を申し上げます。






ロサンゼルスでは、連日感動の嵐でした!
特に鹿児島の方々との出愛いが満載で、
ロサンゼルスと鹿児島の心の距離の近さと所縁ある方々の多さに興奮しっぱなしでした。

写真は、「あまのがわ」出演者の竪山博之さんの元で演技を勉強されていた
映画祭主催の池田直之さん、鹿児島とご親族の関係で所縁があるロサンゼルス在住の
曽原みゆき監督、1950年代、そして、右にいらっしゃるのは、
鹿児島出身の男たちがアメリカへ渡った彼らを先導した人が「戦後移民の父」といわれる内田善一郎さんの息子さんご夫妻、素晴らしい鹿児島仲間に囲まれての受賞となりました!

ロサンゼルスと言えば、ハリウッドやロングビーチのイメージですが、
今回の出張で、日系移民の方々の苦労の歴史があることを知ることになりました。

上映が行われたのも、ちょうどジャパニーズ アメリカン ナショナル ミュージアムでしたので、大切なきっかけを授かったと思いました。

ミュージアムの中は、明治維新以降からの日系の方々の歴史が
時系列で大変わかりやすく展示されておりました。
明治以降、豊かな生活を求めて日本から生活の拠点を変えられた方が大勢おりました。
中国地方、四国地方、九州地方の方がメインだったと伺いました。
農業から飲食などを1から始められた中で、州の日本人に対しての差別や虐げは
大変だったそうです。
開拓した農地も3年で手放さなければならない、
日本人がアメリカに帰化することの禁止など、様々な不自由を強いられていたようです。




戦中は、日本人というだけで強制収用所に移されて、自由を制限された生活をさせられたとのことです。



日本人というだけで、どうしてこのように虐げられねばならないのか、
アメリカに移住した方々の気持ちは、日本人の精神や文化を大切にしながらも、
アメリカ人としての誇りを持っておられたとのことです。

戦時中に理不尽な対応をされたことが、数十年後、政府が当時の行いは過ちであったことを認め、賠償金を彼らに支払うという対応に至ったとのこと。
当事者にしかわからない苦労や困難が沢山のあったと感じています。

現在は、日系の方々も三世、四世と受け継がれていき、
過去の負の歴史を理解しながら、未来に向けて先人たちが通ってきた歴史や功績を
語り継ごうというムーブメントが起きているとのことです。

同じ日本人のDNAを持ちながらも、日本を離れながら、日本を愛し、
アメリカで住み続けている方々の姿と触れることで、
私たちが今、日本にいること、他国と関わっていく姿勢を
考える大きなきっかけとなりました。

リトルトーキョーは、数十年前に比べて四分の一程度に縮小されたとのことですが、
日本愛に溢れたお店やモニュメントを多数見受けることができました。





 午前の講演と午後の上映の間が短く、早く出てくるお店ということで、日本食料理店に!






リトルトーキョーには、日本語や日本文化がたくさん飛び交っていました。
この桑田不動産は、現在は、店舗は洋服店として、営業が行われていました。

今回の出張では、たくさんの日系アメリカ人の方や、日本からアメリカに渡られて、
30年近くお住まいの方まで多数お会いしました。

そんな中、場所は違えども、日本人としての誇りや感性は、
共通であることを改めて感じる学びの時間となりました。

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