祖母の初七日の法要を終えて

皆さん、こんにちは。
暑い日が続きますね。
如何お過ごしでしょうか。

実は先週の日曜日に祖母が他界致しました。
母方の祖母で御年八十歳でした。

私が小さい頃から、いつも可愛がってくれた祖母で、
下落合近辺、いろんな所を一緒に歩いて回ってくれました。

私が祖母にとって初孫であったためか、
祖母との想い出が沢山あります。

近所の和菓子屋が大好きで、よくスアマを買ってきてくれたり、
ゴマをすり鉢で刷ったり、鰹節を削ったり。

計算が得意だった私は、よく近くのスーパー(ユネスコやいずみや)
に行っては、レジのおばさんよりも早く買い物の計算をしてみせたり、
(そういえばあの当時は、まだ消費税なかったですもんね)

余ったご飯にバターと醤油を掛けて、残さず食べる工夫を教えてくれたり。

うちの叔父が歯科医をやっているので、
いつも診療所に祖母と居た記憶があります。
待合室で漫画を読んでたり、診療後一緒に診察器具を磨いたり。

椎名町が近くて、よく8が付く日には縁日に連れていってもらいました。

祖母はいつも私のことを気にかけては、いつも笑顔で温かく接してくれました。
父と母にはなかなか馴染めなかった青年期の自分にとっては、
祖母が家族でいてくれることの存在感や大きさは、何よりも代え難いものでした。

支えてくれる人というのは、居てくれるだけでありがたいものです。

そんな祖母も私が三十路になった今年、旅立ってしまいました。

祖母が危篤と聞いて、家を飛び出し、
母から後二時間と電話が届いたとき、私の中には、ただ、
祖母の手を握って見送るイメージだけが強く心にありました。

電車やタクシーを乗り継ぎながらも、なかなかスムースに進んでくれない中、
焦りではなくて、信じるという気持ちが近かったと思います。
必ず、祖母の死に目に間に合うから、全力で病院に向かう。

病室に付いた祖母の脈拍は30でした。
存命にうちに辿り着いて、私がついて10秒程度で亡くなりました。

大人になった自分は、最後の最後まで祖母に支えられているんだなと思うと、
涙が止まりませんでした。

昨日の通夜に続き、本日は告別式ならびに初七日の法要をして参りました。



祖母の葬儀をきっかけとして、親族いろいろな方々と再会をすることとなりました。
かれこれ17年ぶりだったりします。

親族の顔に囲まれながら旅立った祖母の冥福を祈りながら、
祖母が残してくれた大切な家族、
そして、自分がこれから祖母の支えなく生きていく心構え、
また家族とのつながりを強く感じることとなりました。

30年間、甘えん坊の私をいつも温かく支えてくれて、
本当にありがとうございました。
小さい頃にいろいろと頂いた気持ち、そして感謝は、
今の自分を形成しているかけがえのない素材です。

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