2016年5月5日木曜日

教育はカウンセリングと密接な関係にある

みなさん、こんにちは。
GW如何お過ごしでしょうか。

小生は久々に井の頭公園でのんびりとした時間を過ごしました。
木々や水に囲まれると忘れていた奥底にある自分を思い返す気分に浸れます。


最近思うことは、想いの近しい人々が横連携でつながり始めているということです。

自身の掲げている「映画」という活動も、
元来興味があった「教育」と分野と融合をし始め、
さらには、小生が大学の時からずっと学んでいた「心理学」とも繋がり始めている。

アクティブ・ラーニングをキーワードに様々な場所に伺う機会を頂いておりますが、
小さい頃、自分が思ったことは、
学びとはもっと自由に、もっと子供目線で、もっと社会と接点を
ということでした。

教科書やテストだけが学校の基準になっているのに疑問に思い、
自分の関心があることを掘り下げ、それを評価基準にしてもらう環境が
あってもいいよなと思っていたのが小学生時代でした。

昨今、学びのあり方が急速に変わっていく中で感じることは、
教える側がいかに、教わる側と空間を楽しめるかということです。

21世紀はフラットな関係が標準となっていく中で、
上限関係ではなく、相互が対等に連携を取り合う姿勢や発想が
学びの空間を有機的に循環させ、自然と成長をさせていくきっかけだと感じております。

そこには、他者を尊重や尊敬するということも
キーワードに上がるのだと思っております。

ともすれば、教育とは、知識を伝達するだけではなく、
如何にその知識を相手と共に議論して、
お互いにその議論を対等な立ち位置で深め合っていけるかが大切なのではと
思っております。

密閉された箱の中ではロウソクがすぐに消えてしまうように
主体性、自主性というのは、
上から押し付けられた時点でその灯火は小さくなってしまうものです。

本来の学びとは、何かを決めつけて、その答えに猪突猛進させるのではなく、
一緒にその過程を議論しながら、お互いに楽しんでいくものではないかと
感じている次第です。

この発想は、自身が大学の学部時代に目指していた
カウンセラーの姿勢に近いのかもしれません。

相手に何かを植え付けるのではなく、相手の持っているものを上手に引き出し、
適宜、足りない部分をそっとアシストしながら、
徐々に良好な関係や相手が望んでいる状態へと導いていく。

教育とはカウンセリングであるという発想が、これからどんどん広がっていくと
おぼろげながら確信しております。

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