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知らないことを知らないと言える勇気

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いつもブログをご覧くださり、ありがとうございます。
アクティブ・ラーニングが社会に必要な理由(2)の続きの
アクティブ・ラーニングが社会に必要な理由(3)は近く書かせていただきます。



みなさんは、今、どのようにお仕事をされていますか?
どのような人と一緒に、どのような会話をされていますでしょうか。

小生は、いろいろな課題や難題を試行錯誤しながらですが、
世代や業種を越えて、様々なプロジェクトをご一緒させていただいております。

思うところ、現代社会は、様々な業種の方との横連携が必要で、
世代を越えて協創をする姿勢が大切な中で、
自分の知っている分野だけを突出させても、
通用しない時代になったのだと思っています。

人間完璧な人はいないと思います。
その都度、いろいろな失敗を経て、人は成長を遂げていきます。

情報が乱立する時代の中で、人間関係は、レゴブロックのように
立体的で、かつ、正解が一つには決まりません。

正解が一つではないということは、他人よりも秀でてる部分だけを主張するのではなく、
自分に足りないものが何かを見つめ返せることで、
それを仲間と共に補える協働が生まれて、だから故、
魅力的な創造性が発揮できるのだと思います。

その凸凹を埋める行為として、相互リスペクトが不可欠だと思います。
自分の足りない部分、知らない部分を、素直に認めて、
それを相手に如何に伝えることができるか?

小生自身も足りない部分がたくさんある中で、
都度都度、如何に人間関係をプラスにできるかを考えています。
人間関係も完璧なんてありえません。
完璧でないからこそ、なんとか進んでいくことができる。
それが人間らしいことなんだろうな、と
昨今そんなことを考えているわけです。

そう思うと、
学生さんでいえば、すべてのことをオールマイティにできなくてもいい、
逆に欠けている方が素晴らしいじゃないか。とか。

マイナス部分だけを捉えるのではなく、
如何に前回から自分の苦手を向上ができたのかとか。

個々人個々人の成長度合いは、絶対評価では計れないものがあるのだと思っています。

アクティブ・ラーニングが社会に必要な理由(2) 〜ALと「世間」との関係〜

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アクティブ・ラーニングが社会に必要な理由(1):https://coneyshun.blogspot.jp/2018/01/blog-post.html

前回、小生の学生時代は、他人の目を気にするただならぬ空気感が漂い、閉塞感に苦しまれた、と書きました。


他人の目を気にしながら、物事を発言する(しなければいけない)。
個性を出さずに、その場所の流れに任せて行動する(しなければならない)。

ここには、日本人の風土に根付く「世間」という考えがあると言えるのではないでしょうか。
無言の意識で相手の気持ちを察して、行動をする。
昨今の流行り言葉の「忖度」という言葉がありますね、まさにあれと近しいものです。

大震災の時に、日本人が列車に列を成して並ぶ姿はその象徴でもあったと思います。
あれは、他人と足並みを乱してはいけないという
世間という意識が日本人に根付いているからだと思います。

このことを考えているうちに5年前に読んだ劇作家の鴻上尚史さんの
『「空気」と「世間」』という本のことを思い返しました。

世間というのは、自分に関係のある世界のことを指します。

電車の列を並ぶ光景、大事発生時でも暴動が起きにくい日本人というのは、
個人のあり方が、他の個人との繋がりの関係性の中で
築かれているコミュニティということなのです。

鴻上さんの本では、

例えば、仲間が昼食にラーメンを食べたいというと他の人も同調してラーメンと行ったり、
人前での自己紹介で故郷の話をすると、二番目以降の人も故郷の話をしたり、
という例を出されておりました。

これを「所与性」と言い、「世間」は、自分が選ぶものではなく、あらかじめ与えられている運命的なものということになるのです。
世間が流動化すると、「空気」となり、よく耳にする「空気を読め」、あの空気になるのです。

世間というのは、他者との関係性では強固ではあるものの、個は埋没し、ある種の閉塞感を生み出してしまうのだと考えます。
高度経済成長、終身雇用、縦型組織の仕組みが一般であった日本では、そのあり方は適応していたのだと思います。
例えば、会社では上司の顔色を伺い、アフター5では、呑み会に付き合わされ、家庭では愚痴をこぼすという、生き方はその代表的なものと言えるのでしょう。

それが時代が変わり、多様性が求められるようになった90年代からは、
抑圧されてきた世間…

アクティブ・ラーニングが社会に必要な理由(1)

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謹んで新年ご挨拶申し上げます。
昨年も多くの皆様にお世話になりました。
本年が皆様に於かれまして、健やかで笑顔溢れる年となりますことを切にお祈り申し上げます。

昨年は、京都、大阪、兵庫、広島、鹿児島など、多くの各地の方々とお会いさせていただきました。

小生は、映画監督と教育という活動をさせていただいているので、
ジャンルを越えて、様々な方々とお会いさせていただき、
対話をさせていただき、体験に基づく学びを授かっていることが
何より幸せだなと感じております。

学びというのは、体験に基づく感謝のバトンタッチであると思っております。
自分が得た気持ちを如何に、誰かのために成長させ、
それをおすそ分けしていくことで、新たな気づきを授かる、そんな風に思っております。

そんな思いを沢山蓄えていたこの半年、
本年公開予定の「あまのがわ」の撮影にドップリだったため、
ブログもすっかりご無沙汰しており、大変失礼を致しました。



そこで、本年第一回目の投稿は、
アクティブ・ラーニングと社会の関係を綴りたいと思います。

おかげさまで、アクティブ・ラーニングの問い合わせも沢山いただくこととなりました。
これもデジハリ大学院時代にきっかけをいただいた羽根拓也先生、及び、
全国の素晴らしいアクティブ・ラーナーの皆様のお陰であると思っております。

デジハリ大学院入学当時の2007年、全員必須だったアクティブラーニングという言葉に
大変関心があったと共に、具体的にはそれはなんぞや? という気持ちを持っておりました。
当時は、同窓の仲間も同じ気持ちを持っていて、もやもやとした気持ちだったのを覚えております。
そこから10年経ち、なるほど、あの時のもやもやはこういうことだったのか、と理解できた気がいたします。

それは、

何か具体的な手法やノウハウの習得が目的ではなく、
他者とのつながりと体験を経ることによる実践的な気づきなのだと思えたのです。
それを行うことで、主体的に学修を行うアクティブ・ラーナーを育成するということになるのだと考えております。

現在、アクティブ・ラーニングは教育現場に急速に広がってきております。
その中で、教育現場のみならず、企業においても、そのニーズは強く求められてきております。

働き方改革、テレワークなど、仕事に対しての向き合い方が変わってきているためでしょう。
時代が変われ…