2014年3月26日水曜日

不幸せではないことは、幸せであると限らない

皆さん、こんばんは。
間もなく四月、三月もあっという間でした。
如何お過ごしでしょうか。

2014年も1/4が過ぎようとしております。
おいらは、4月は少し整理の時間に充てようと思っております。
5月はいろんなことが動き出しそうなので、
今まで出来なかった作業や友人と過ごせる時間を大切にしようと思っております。

さて、今日は日本の「空気」に付いて、お話します。
前にも鴻上尚史さんの「世間」と「空気」を書きましたが、
小さい頃からおいらがとても苦手だった日本の空気は、大人になっても顕在です。

例えば、満員電車。

おいらは月に1、2回程度しか乗ることがありませんが、
おいらの荷物は大抵多いです。
3、4つバッグを抱えていることはザラにあるのですが、
満員電車では乗ると、大変。
いつも乗る時に、「乗ります!」「通ります!」と必ず声を掛けますが、
反応する人はほとんどおらず、
満員電車でなかったとしても、他人である自分の声に反応するのは、ごくわずか。

赤の他人には関心がないのかなと思う瞬間を東京の電車に乗る際に必ず感じます。

背中に大きなバッグを背負って、イヤホンを付けている大学生に
「通ります」と言っても、隙間を空けてくれるわけでもなく、
でかいバッグが常においらの体にぶつかるのに、気付き訳もなく。
可能な限り、「バッグは下ろした方がいいんじゃないですか?」と伝えてますが、
電車に乗る度に、そんなことを毎回伝えるのってなんだかなという気持ちに駆られます。

先ほども、都心で友人が酔っぱらっていて
フラフラして通行人の方に迷惑になっていたので
「ごめんなさい、迷惑かけて」とその通行人に声をかけると、反応せずに、
その後、仲間内でこそこそと話だし、
おかしいだとか、変な人だとかってことを平気で言うんです。

昔から感じておりましたが、
日本ってコソコソ平気で言うのが好きなのかなと感じてなりません。

その直後、今度は、別の中年の会社員が駅近くを走っていて、
おいらの体にぶつかったのですが、
「ごめんなさい」と言いつつも、片手を振って振り返りもせずに
さらっと改札を通る姿もなんだかおかしいなと思いました。

自分の知っている人には関心があるけど、関係ない人はどうでもいい、
この日本に存在する空気の存在が、おいらは小さいころからもの凄く苦手で、
時に自分が日本人でありつつも、「日本人が嫌い」と話すことも少なくありません。

もしかすると、「日本人が嫌い」と言うよりも、
「大都市の東京が苦手」なのかも知れません。

例えば、居酒屋やパブ。

東京だと空気を非常に重んじるので、
知らない人に話しかけるのは御法度のような雰囲気がありますが、
地方の居酒屋(東京でも雰囲気の良い居酒屋では、偶にありますが)や海外のバブでは、
フランクに知らない相手と話して、意気投合することは沢山あります。

そうして知り合った仲間も沢山おります。
実は高円寺にもそういう仲間が沢山おり、
そう考えるとおいらのいる高円寺は、外国のような土地なのかも知れません(笑)

東京がどうして、こんなにも他人に無関心であり、冷たいのか。
それは幸せの視野が自分の見える範囲にしか感じられないからではと思ったりします。

他人に対して良くしても、自分に利益はないな、とか
他人が何を話しても、知らない人間って関わりたくない、面倒くさい、
そんな思考が働くからではないでしょうか。

利益とは、得てして、
お金になる、便利と言った即効的な価値に重きを置かれがちですが、
本質的な価値は、きっと、
目先の利益では得られない、持続的で、
かつ目に見えづらいものなんだとおいらは思ってます。

おいらが思うことは、
東京にはなくて地方や海外に存在するものが沢山ある。

映画の活動をして、地方や海外に沢山訪れて、
東京とは違う人の温かさに触れると、
東京は日本の代表地域というよりも、大変異質な日本と思うことが少なくありません。

こんなデータを見つけました。
http://ayacnews2nd.com/archives/51980097.html

世界の中でこれだけギュウギュウに人が入れ違っていれば、
感覚もそれに慣れてしまい、赤の他人も関係無しだよなと
思えてしまいます。

反面、大震災ではお互いを助け合う姿があったことを思うと、
私たち東京人には、日頃隠しているけれども、
ちゃんと江戸時代やその昔から培っていた隣三軒両隣の精神が
今でもちゃんと残っていることを伺うことができます。

無くしているわけではなく、忘れているだけの私たちの精神的な幹を
大震災時だけではなく、日常でも大切にしていけたら、
もっと良い関係が生まれるのではと常々考えております。

そんな風に思い起こしたのが、数年前。
東京にいて、便利なこと、仕事の案件の量など、様々な恩恵はあります。
ですが、そろそろおいらの心が限界なので、後三年今ある活動を確立できたら、
拠点は東京以外の場所に置きたいと本気で思っております。

そこには、自分のライフワークである
幸せの在り方を可視化してみたい、というおいらの欲求があるんだと思ってます。

漠然としならが時間が流れ、「空気=not 不幸せ」が漂っている東京。
でも、おいらは「not 不幸せ≠幸せ」だと思ってます。
不幸せでないということは、幸せであるということと同値ではないこと」、
ちょっとした気付きとして、広く伝えていきたいなと思っております。

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