人生を全うするということについて。


皆さん、こんばんは。
お変わりございませんか。
今年は桜はものすごく早かったですね。
私も少しだけお花見を堪能しましたが、例年に比べてちょっと違った楽しみ方でした。

さて、映画「ノー・ヴォイス」も足掛け2年以上経ちます。
企画を頂いた方に感謝が耐えません。
そして、映画はやはり、長く関わるほどにいろいろな視点、
そして自分自身を修業させてくれる存在だと感じます。

「ノー・ヴォイス」を創っていていて時々感じることは、
自分自身の人生に関してです。

犬猫の話なのに、なぜだか自分のことを思い浮かべてしまいます。

センターで小屋の中にいる犬猫たち。
通常七日間で生かされるか、そのまま「殺処分」されてしまうかが
決まるかは、なんの違いなんだろうと感じます。

なんのために生まれてきた命なんだろうと。

私も今でこそ、肉を食べることはめっきり少なくなりましたが、
今までは頻繁に牛や豚の肉を食べておりました。
その命がどこから来て、どのような経緯で頂けるのかを
考えることが少なかったのが20代だと思います。

命には、望まれない命、必要とされる命はあってはいけないこと
ということに最近よく気付かされます。

命は巡り巡って誰かの幸せに繋がり、
その幸せは、また誰かの幸せに繋がります。

犬猫もそう、同じで、
人間の幸せに生きているのではなく、
自分が幸せになり、かつ、誰かが幸せになれるために、
生まれてきたんだと感じます。

他者、見えない誰かへの愛。

ノー・ヴォイスも野馬追も、そして
お誘い頂く様々な企画も、
なんだか自分自身の試練に感じてなりません。

生きるとは何か?   

一言では収まらず、きっと、自分自身の果てしない旅路の末に
出会うものなんだとうっすら感じております。

近く、古新記(2)も書きますね。

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