2013年4月18日木曜日

人生を全うするということについて。


皆さん、こんばんは。
お変わりございませんか。
今年は桜はものすごく早かったですね。
私も少しだけお花見を堪能しましたが、例年に比べてちょっと違った楽しみ方でした。

さて、映画「ノー・ヴォイス」も足掛け2年以上経ちます。
企画を頂いた方に感謝が耐えません。
そして、映画はやはり、長く関わるほどにいろいろな視点、
そして自分自身を修業させてくれる存在だと感じます。

「ノー・ヴォイス」を創っていていて時々感じることは、
自分自身の人生に関してです。

犬猫の話なのに、なぜだか自分のことを思い浮かべてしまいます。

センターで小屋の中にいる犬猫たち。
通常七日間で生かされるか、そのまま「殺処分」されてしまうかが
決まるかは、なんの違いなんだろうと感じます。

なんのために生まれてきた命なんだろうと。

私も今でこそ、肉を食べることはめっきり少なくなりましたが、
今までは頻繁に牛や豚の肉を食べておりました。
その命がどこから来て、どのような経緯で頂けるのかを
考えることが少なかったのが20代だと思います。

命には、望まれない命、必要とされる命はあってはいけないこと
ということに最近よく気付かされます。

命は巡り巡って誰かの幸せに繋がり、
その幸せは、また誰かの幸せに繋がります。

犬猫もそう、同じで、
人間の幸せに生きているのではなく、
自分が幸せになり、かつ、誰かが幸せになれるために、
生まれてきたんだと感じます。

他者、見えない誰かへの愛。

ノー・ヴォイスも野馬追も、そして
お誘い頂く様々な企画も、
なんだか自分自身の試練に感じてなりません。

生きるとは何か?   

一言では収まらず、きっと、自分自身の果てしない旅路の末に
出会うものなんだとうっすら感じております。

近く、古新記(2)も書きますね。

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