問題が起きた時には「間」に着目をする



昨今、芸能人の薬物事件が後を絶ちません。
水面下ではまだまだ薬物の蔓延が予想されます。
薬物の中毒性は計り知れず、改善がされたと思っても、
またしばらくすると繰り返し使われてしまう状況を見ると、
ちょっとした心の弱さやナイーヴなメンタルの状況に
クスリの脅威が漬け込まれているのだと思います。

クスリに限らず、人間のメンタルというのは、一見強そうに見える人ほど、
実は案外弱いのではないかと感じています。
社会的に注目される人間はもとより、
組織で地位が高くなる、身の丈に合わない責任を持たされるなど、
個としての一人の人間に、社会や組織の重圧がのし掛かると、
戸惑いや心の苦しみが積み重なり、それが犯罪や違法行為に繋がることだと感じます。

例えば、有名な大学の教授が日頃の素ぶりからはあり得ないような痴漢をする、
という事件もその現れだと思うのです。
その時に、その人に「どうしてこんなことをしたんだ」「あなたはダメな人だ」と
レッテルを貼る社会は悲しいものです。
上記にもある通り、その人自身の問題でもありながら、
そこには社会や組織などの環境要因や背景・状況が存在するからなのです。

8050問題、7040問題の引きもこりなどもそうだと思うのです。
その人自身が、最初から引きこもりたいと願う訳ではなく、
状況に向き合いながら、それにもがいたり苦しんだりした末に心をくじかれてしまい、
否応無しにそのような状況に追いやられてしまう状況や背景が各々あるのだと思います。

人間という文字が人の「間」と表す通り、何か問題が生じた場合に、
その人に対して指を向けるのではなく、
その人と周りの人間を取り囲む「間」に着目をしてみては如何でしょうか。

その人の生活環境や仕事の関わり方、人との関わり方、自分との向き合い方、
そこから問題となっている要因を如何に未来志向で解決をしていけるかが
建設的な解決の糸口になると考えます。

薬物問題も、事件を起こした人を一方的に責めるのではなく、
事実に着目をしながら、その出来事が如何にして生み出されたかという要因を探り、
そして、その人が今後どのようにしたらその行為が軽減されていくかを未来志向で
向き合っていけると、人に対しての寛容の在り方が膨らんでいくのだと考えます。

違法薬物は決して許されるものではありません。
ですが、人には寛容な社会でありたいと強く願います。
特に薬は個人任せの精神論での解決ではなく、
周りの環境の改善や依存症を無くしていく
医学的・心理療法的な包括的対応が必要だと思います。

誰しもいつでも万全で強い人間はいません。
だからこそ、弱い部分すらもその人の人間性として分かち合い、
一人ひとりが繋がっているという共同体感覚を持つ精神が
令和時代にはより広がっていけると良いと感じています。

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